2009年4月 Archive

旅は続きます。

途中からの方はこちら↓
第1話:CONTAX T2とNew York
第2話:T2との旅、その2


(前回のつづき。)

近くで見るそのカップルは真冬だというのに、日焼けサロン通いだろうか、かなりガングロだった。

僕はやや不機嫌ながらも、外面はいいので、日本語が通じるかもわからない(笑)謎のカップルにとてもビジネスライクに聞いた。


僕:「どうかされましたか?」

彼:「遅くに本当にすみません。」

僕:「はい?」

彼:「今夜一緒に食事をしてもらえませんか?」

僕:「えっ??せっかくの旅行なのに彼女とお二人で過ごされたらどうですか?」

彼:「いや、お願いします。マジでお願いしますっ。」

僕:「・・・わかりました。僕も食事に出るから、じゃ30分後にロビーで会いましょう。」


なんだかわからないけど、かなり真剣な面持ちだったので、僕はなぜか断れずにそう言った。
僕はこの旅の最初の夜を知らない若いカップルにつき合う事になった。

少し早めにロビーに降りると既にあのカップルがニコニコしながら待っていた。

ヨーロッパ屈指のリゾート地とはいえ、真冬のニースの街はどんな雰囲気かなぁ?と興味津々だったが、ホテルの前の大きな広場は眩いばかりのクリスマスイルミネーションでおとぎの国のようだった。

ホテルを出て、歩き出した僕は名前も知らないカップルにまず自己紹介をした。そして「どうして僕の部屋へ来たの?」と聞いた。

彼:「オレら、つき合いだしたばかりで、実は初めての海外旅行で、勢いで行く事にしちゃったんすよ。けど、ほんとは出発前から不安で不安で。てか、こんな知らない国で夜遅くに二人っきりにされたら、オレらどうしていいか。言葉もわからないじゃないっすかぁ。んで、成田で見かけた時から、なんか困ったらこの人に相談しようとなんか勝手に決めていたんすよ。部屋も何号室に入るか二人で見ていたんです。」

てか、ほんと勝手に決めるなよ。相談するなら旅行会社にして欲しいけど。部屋まで確認して、ほとんどストーカーだよ。

結局、僕は二十歳そこそこのカップルと冬の素敵なニースの街を歩いた。

僕:「ほら、この広場とても綺麗だから二人の写真撮ってあげるよ、カメラ貸して。」と言った。

すると、

彼:「やっぱ、カメラとか普通持って来た方がよかったっすよね?」

彼女:「ほらあ、だからカメラ持って行こうっていたじゃんっ。ばかぁ。」

初めて彼女の声を聞いた。

しょうがない、僕はT2でニースの街に降り立った異星人カップルの写真をスローシンクロで何枚か撮った。これが、かなり良く撮れた。
美しい背景とはうらはらに、カップルは二人揃って場違いなピースサインをしていた。

「少し歩くと地中海の海岸に出るはずだよ。せっかく来たんだから、行ってみる?」となぜか僕は新婚旅行の添乗員みたいになっていた。僕も初めての街なのに。

月明かりの夜の海岸でようやく安心してきた二人は、波打ち際で裸足になってはしゃいでいた。そのとき、二人の視界に僕はいなかった。僕は早くビールが飲みたかった。そして指先で触れた南仏の地中海の水は真冬なのに暖かかった。

僕らはいくつかのレストランを物色した。時間も遅かったので、多くがもうラストオーダーの時間を過ぎていた。

僕は二人に「明日から僕らはイタリアに入るので、せっかくだからフレンチにしておく?」とあらかじめ聞いたが、

彼:「あっ、てか、オレら、よくわからないんで、食えれば何でもいいっすよ。」

がっかり。

せっかくのフランスなのに結局、僕らは清潔そうなイタリアンレストランに入ることにした。僕はビールが飲みたくてそれ以上歩きたくなかったから。

食事をしながら僕は知らない遠くの街から来た知らないカップルの、一緒に暮らしだしたなれそめ、この旅に行く事になる迄の経緯、お互い相手のどこがムカつくか、など多くの話を聞く事になる。詳細は忘れたが、印象が悪かったこの若者達を僕はすこし「なんか、かわいいなぁ」と思い始めていた。性格上、頼りにされるのもイヤではなかった。

ただ、ホテルに戻り部屋の小さな窓からあの素敵な広場を見ながら、僕のこの旅をあのカップルの添乗員で終わらせるのはゴメンだと、本気で思った。そして成田で見たカルロス・ゴーンの側近が引いていたいくつもの見た事も無いルイ・ヴィトンの大きなスーツケースはきっと高いんだろうな、と思った。

次の朝早く、僕らはモナコを通り、高速道路で国境を越え、フィレンツェに向かった。

つづく。

300px-National_Park_Service_9-11_Statue_of_Liberty_and_WTC_fire.jpg僕が以前マンハッタンを訪れたとき、誇らしげにそびえ建っていたツインタワー。 そのワールドトレードセンターが崩壊した悪夢の2001年。

その年の年末に僕はT2と成田空港にいた。シャルル・ド・ゴール空港に向かうエール・フランスに搭乗するために。

思いつきで参加した良くある格安ツアーだった。航空機と移動手段とホテルがついて後は勝手にしてくれ、という感じで集団行動が苦手な僕にはぴったり。

テロの直後ということもあり、成田には警察犬をつれた警官が沢山いた。荷物のチェックも厳しくとても待たされた記憶がある。いつもの成田と違う雰囲気だった。

チェックインカウンターで感じのいい女性添乗員が「今は抜き打ちで怪しいスーツケースは鍵がかかっていても壊して開けるから、鍵はかけない方がいいみたい。」と言った。
怪しいものなど入っていなかったので僕は迷わず鍵をかけてチェックインした。

同じツアーに参加する人の中に、どうも僕とは気が合いそうにない若いカップルがいた。
二人とも金髪でいくつもピアスをして、フレームの両脇に大きいブランドのロゴがついているサングラスをしていた。夜なのに。
まあ、一緒に行動するわけではないし、この時は気にもとめなかった。
僕らの乗る便はその日の最終便で搭乗待ちのレストランも閑散としていた。

食事を終えて、ふと見るとあのカルロス・ゴーンが2人の側近を連れて僕らとは違う通路を歩いていた。その時は「同じ便でパリに向かうのかなぁ」と思っただけだった。

そしてなぜか搭乗手続きがいっこうに進まない。

「ファーストクラスからのダウングレードしていただけるお客様を探しています。」

日本語の上手なフランス人スタッフがそう言っていた。エコノミーの僕らには関係ないが、高い席から搭乗するので一向に搭乗できない。
さっき見たカルロス・ゴーンが急遽、僕らの満席便に無理矢理乗る事になったのだろう。
彼がボスを務めるルノーと、エール・フランスはともにフランスの国営企業みたいなもの。彼のわがままはどうにでもなるだろう。

結局1時間ほど遅れて成田を飛び立った僕らの便。
ベルトサインが消えると、機長のアナウンス。

「本日はテイクオフが遅れた為、通常とは違うルートでフライトします。パリには予定通りに到着します。」みたいな事を言っていた。

十数時間のフライトの後、結局予定通りどころか、1時間も早くドゴール空港に僕らは降り立った。ゴーンがよっぽど急いでいたんだろう。
朝5時の空港で空いているコーヒーショップは1つ。時間をつぶすしか無い。

そこから僕らは国内線でニースに向かう予定だった。当然、荷物もその便にトランジットされていた。
そしてまたもやアクシデント。

その国内線に積まれた荷物の一部が、検査機器の故障で危険物のチェックが出来なかったとかで、危険だと機長がフライトをボイコットした、と。

さすがフランスの公務員。まあテロ直後だったしね、機長が有する権利だそうだ。

僕らはその便から自分の荷物が出てくるのをド・ゴール空港で2時間待った。そして別の便に乗る為、エール・フランスが用意したバスで、パリ近郊のオルリー空港に向かった。

オルリーにつくと、エール・フランスのスタッフは「ご迷惑をおかけしたので食事を用意しました。このレストランで好きなものを食べてください」みたいな事をいった。
もちろん、たらふく食べた。オルリー空港は成田以上に厳重な警戒だった。全ての建物の四隅には自動小銃を抱えた兵士の陰が見えた。

小さなジェットに乗って、昼につく予定だったニースの街についたのは結局夜だった。
疲れ果てていた僕は、ホテルにチェックインしたら近くで適当な食べ物とビールを買って眠ろう、と思っていた。

ニース中心街の古い小さなホテルの部屋に入って、荷物を置いてタバコに火をつけたとき、部屋のドアをノックする音が聞こえた。

ドアの外からは日本語が聞こえた。

「すみません」と。

ドアを開けると廊下には成田で見かけたあの、ブランドサングラスのカップルが申し訳なさそうに立っていた。


つづく。

R1052392.jpg名器「CONTAX T2」。


ポルシェデザインのボディはチタン合金で、ファインダーにサファイアガラス、レリーズボタンは人工多結晶サファイア、そして、かのツァイスレンズ、ゾナー38mmF2.8を装備していた。その高級感と味のあるシンプルさは、衝撃的であり、大人な男の道具だな、と若い僕は感じた。

90年代初頭、自分も少しは大人になってきたなぁ、と勝手に感じていた僕はこのカメラを手に入れた。ブラックチタンの特別仕様でデータバッグを入れて確か15万円近くした。ズームも無いコンパクトカメラのくせに。当時の収入を考えたら良く手を出したなと思う。もちろんデジタルカメラなんてものは世の中に存在していなかった。

濃厚な発色と美しいぼけ味。単焦点コンパクトで高品質という意味で、今でも日常スナップ旅カメラとしてGR DIGITAL IIを愛用する発端となった思い出のカメラ。十数年経った今も、使っていないのになぜか手放せない。


そのT2を手に入れて初めての旅は10月末のマンハッタンだった。


インディアンサマーとは裏腹に、すっかり秋色のセントラルパーク、
ハロウィンに浮かれるニュージャージーの小さな小学校の子供達、
パークアベニュー沿いのホテルから見える街角、
夏時間最終日と満月とハロウィンを同時に迎えて混沌としたタイムズスクエアの鼓動、
5thアベニューのストリートミュージシャン、
月のイーストリバーにかかる真夜中のブルックリンブリッジ、
まだ落書きだらけだった地下鉄の駅、

そして、一緒に暮らし始めたばかりの彼女を撮りまくった一週間。


ニューヨーク最後の夜、チャイナタウン近くのスペイン料理屋でたらふく飲んで食べた後、Bob(米在住のいとこの夫)は眠そうな目をこすりながら言った。


「観光客なんて一人もいない、誰も知らない最も美しいマンハッタンの夜景を見せてあげるよ」と。


しばらくして彼の車はトンネルに向かった。FMラジオからはベタなアレンジで「Over the Rainbow」の女性ボーカルが流れていた。流れる景色とJAZZ、すべてがスローモーションに感じて映画のようだった。

そして、僕らはハドソン川沿いの鉄条網に囲われた未舗装の大きな空き地についた。半径数百メートルに人の陰は無かった。それ迄の喧噪が嘘のようだった。


そこから見る対岸のマンハッタンのとてつもなく巨大で人工的な輝きと美しさを見て、なぜか涙が出てきた。少しだけ風が吹いていて、遠くに聞こえるクラクションやサイレンなどのミッドタウンからのノイズが心地よかった。

そして、そのときはまだ、誇らしげに輝くあのツインタワーがそそり建っていた。


いくらか年月が経って、サンフランシスコ港の駐車場でトイレを出たとき、固いアスファルトの地面に愛していたT2を落としてしまった。
とても不機嫌になった僕は、その旅の間、彼女といくつかの喧嘩をした。

若かったんだね。今でもT2のそのへこみはそのまま。

もう少し大人になって仕事で訪れた横浜のある会社の役員室でガラスケースの中になぜかT2があって驚いた。
わけもわからず興味を示した僕にその会社の役員は「この表面の窒化チタン加工はいまでも世界中でうちの会社でしかできないんですよ、もうこのカメラ、造ってないけど。」と・・・。

つづく・・・(かも)。

本日(4/1)エイプリルフール未明に当サイトに掲載しましたLost Color Peopleの「海外ツアー情報」及び「活動停止」の記事に関しまして、すべて架空の情報です。
思いつきの遊び心で、応援いただいている皆様には多大なご迷惑をおかけしましたことを深くお詫びいたします。

多くの方から、ご心配、お叱りのメール、お電話をいただいております。LCPが皆様に愛されている事を痛感いたしました。これに懲りずにこれからもLost Color Peopleをよろしくお願いいたします。

この記事はすべてが事実と異なるため管理者により、削除されました。
ご迷惑をおかけしました。

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