仕事もばたばたしてましてなかなか書けませんでした。ま、こんな時代にそこそこ忙しいのは幸せかもしれません。
実はいまこの話とは別の短編エッセイを書いていまして、それはまだ非公開ですが、旅は続きます。
途中からの方はこちら↓
第1話:CONTAX T2とNew York
第2話:T2との旅、その2
第3話:T2との旅、その3
第4話:T2との旅、その4
ローマ、素晴らしい街だった。
ローマ市内に入り、車がヴェネツィア広場にさしかかったとき、もう、完全にこの街にやられてしまった。
郊外のホテルにチェックインして、すぐに地下鉄で市内に入った。
地下鉄は思ったより近代的で清潔だったが、物乞いをするジプシーの少女や、どうみても危険な香りがする人々が多く、貧富の差がある大都会なんだなとつくづく思った。
滞在中、何度かスリに遭遇した。人ごみで何食わぬ顔でバッグのファスナーを開ける。やめろ、と手を払っても何食わぬ顔で消えて行く。
スリは決まってまともな格好、いや、どちらかというとキレイに着飾っていた。毛皮を着たマダムもいた。
また観光客目当てのキャッチセールみたいな男たちは決まって日本人男性をみると、「ナカタ、ナカタ」と声をかけて来た。
ちょうどそういう時代だった。
地下鉄のホームでベンチに座って列車を待っているとき、白人の若者と短い会話をした。テキサスから来て、ローマの大学に通っていると言っていた。
中心街で気になったのは日本語の看板とか張り紙が多い事。
インターネットカフェの看板。「PC日本語使えます。」
レストランのドアに。「日本語メニューあります。」
こういうのは冷める。
余談だが昨年パリのノートルダム大聖堂で見た「Welcome」が数カ国語で書いてある大きな垂れ幕。ひらがなで「よこそう」って書かれた間違った印刷を上から「ようこそ」に手書きで書き直してあった。パリで大笑い。
けど、ローマは最高。
コロッセオ、フォロロマーノ、サンタンジェロ城。
中でもバチカンは素晴らしかった。ほぼ1日をここで過ごした。
偶然、ローマ法王が窓からクリスマスの謁見をしていた。
美術館に入る警戒は空港以上に厳重だった。空港のような金属探知のゲートを通ったあと、完全防備の兵士に網状の金属探知機で全身を調べられた。
圧巻だったのはシスティーナ礼拝堂と、サン・ピエトロ大聖堂で巨大な防弾ガラスに覆われたミケランジェロの「ピエタ」。言葉を失った。
大理石で出来た皮膚も、筋肉も、血管も、髪の毛も、シルクの裾も、全て恐ろしくリアルだった。天才っていうのは本当はこういう事を言うんだろう。
ローマ2日目の夕方、スペイン広場の階段に座って地図を見ていると、久しぶりにあのカップルが僕を見つけて声をかけて来た。この大きな街で凄い偶然。
「やっぱカメラ買ったんですよ。」
彼は満面の笑みで、手に持った「写ルンです」を見せてくれた。
僕は「じゃそのカメラで二人を撮ってあげるよ。」といって、プラスチックのファインダーでアングルを決め、ローマの街をバックに二人の写真を撮った。
シャッターの感触はとても頼りなかった。もちろん二人はサングラスをかけて、例のピースサインをしていた。
彼が僕の写真も撮らせてくれと言うので、僕もピースサインをしてみた。
僕のT2で自分を撮ってくれとは彼には言わなかった。なんとなくね。手渡す気がしなかった。
いくつか雑談をして、僕は彼らと別れて街を歩き、テルミニ駅地下のスーパーマーケットで酒とつまみを買い、歩き疲れた僕はタクシーでホテルに戻った。多くのタクシーはムルティプラだった。
翌朝、部屋の電話が鳴った。
寝ぼけながら電話をとると、とても親切で知的なあの女性添乗員からの内線電話だった。彼女は偶然僕と同郷で、嫌いなタイプではなかった。
「突然すみません。ローマに来るといつも行くおいしいレストランがあるんです。明日は日本に帰るので、良かったら今夜ご一緒しませんか?」
断る理由は無かった。
「では、夕方6時にロビーで会いましょう。」
僕は部屋のカーテンを開けた。眩しくいい天気だった。
つづく。
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