我ながら二面性に笑えたので写真を。
仙台に続き、金曜日は都内でパートナーの一部上場企業の会議で、同業者約100社の前で熱く講演。MacBook Air+keynoteで。
先月やはり都内で「hideka band」のギタリストとして熱く公演。
両日の共通点。夜は大量の酒で記憶喪失の超ダメ人間だった事。
いいんだ。ずっとおバカな大人でいたい。
我ながら二面性に笑えたので写真を。
仙台に続き、金曜日は都内でパートナーの一部上場企業の会議で、同業者約100社の前で熱く講演。MacBook Air+keynoteで。
先月やはり都内で「hideka band」のギタリストとして熱く公演。
両日の共通点。夜は大量の酒で記憶喪失の超ダメ人間だった事。
いいんだ。ずっとおバカな大人でいたい。
通夜に行ってきた。
業界の鬼と言われた大物が突然の事故で他界した。ショックだった。殺そうとしても死なないような男だった。
僕は約20年前に某メーカーに就職して営業職に就いた。他界した彼が営業部長をつとめる会社の担当になった。同業者や仕入れ先、彼の部下の誰もが恐れる存在感あふれる強烈な男だった。彼は誰も信用しない男だと思っていた。正直かなり苦手だった。20歳以上年下の僕には打つ手はなかった。
けど彼は自分のお客さんの為なら何でもしていた。いつしか何故か僕を信頼してくれて大事にしてくれていた。一緒に数千万円の仕事をいくつかした。
僕の社内での所属が変わり、担当が僕から別の社員に変わると決まったとき、彼は僕の会社の東京の本社に電話してブチ切れしたそうだ。
「社長を出せ。あいつと仕事をしたい。誰が担当を変えると決めたんだ?」と。
嬉しかったが正直、また担当するのはタフだった。
その後、僕が独立して始めたソリューションは明らかに彼のビジネスにとって面白くないものだったと思う。それでも「いいところに眼を付けた。さすがだ。」と評価してくれた。
そして何年かして、「自分の会社を作るから相談にのって欲しい。」と連絡があった。小さな喫茶店の片隅で「税理士はどうしたらいい?社労士は?評価制度はどうしてる?」と無邪気に相談してくれた。
ある日、某建設会社の社長と、僕が尊敬する若者の紹介で会う事になった。
もちろん初対面だったのに、その社長は僕の事を知っていた。
その建設会社は他界した彼の和風豪邸を受注したとのこと。そしてその他界した彼はその建設会社の社長に僕の話をしたと言う。
「面白い奴がいる、いい奴だ」と。
正直驚いた。
その社長は、他界した彼が人を褒めるのをあまり聞かないので覚えていたという。
その家での事故だったとのこと。何度も「遊びに来い。自慢の檜風呂があるぞ」と言われたけど、結局行けなかった。
行かなくて良かったかもしれない。最後がより鮮明にイメージ出来るのは辛い。日曜の午後、自慢の風呂を涌かす薪を準備しているときの事故と聞いたから。
訃報は知っていたが、しばらく会っていないその建設会社の社長も伝えてくれた。知らなかったら辛いだろうからと。
年末のこの時期になると他界した彼は毎年カレンダーを持って満面の笑みで商売上ではライバルでもある僕に会いにきてくれた。
「頑張ってるな。オレも頑張るぞ。来年もよろしくな。」とね。
そのカレンダーはいつも僕のオフィスの一番目立つところに張ってある。
けど今年、カレンダーは来なかった。
今週の金曜の午後、都内で約100社の同業者の集まりでちょっとした講演することになっていて、原稿に眼を通していると彼から学んだフレーズが幾つかあった。
「お客様に信頼してもらう為になにができるか?」
彼から学んだ事は僕の心で生き続ける。
圧倒的な存在感で、頑固で、ワルで、無邪気で、ストレートで、くそ真面目で、とてつもなく苦労してきて、ヤンチャで、スケベで、究極の商売人だった。
彼のお客さんになってみたかった。
天国で彼が「オレもまさか死ぬとは思わなかったけど、人生そんなもんだよ。がははははは」と大声で笑っている姿が想像がつく。いま思えば初めて会ったときの彼は今の僕の歳と変わらないんだなぁ。
家に帰って一人で泣いた。
お会いできた事に感謝します。僕を信頼してくれた事を一生誇りに思います。
心からご冥福をお祈りします。ありがとう。
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