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IMG_0027.jpg今夜も営業チームと現状の社内外の問題点と、明日からどうするかをディスカッションして先に会社を出て、ふらっと近所の居酒屋で少し食べて、いつものように家に帰ると、荷物が届いていた。

意味が分からなかったが、包みを開けるとのし紙に「就任十周年御祝」と書いてあった。

完全に意味不明。

社員やうちの役員どころか僕自身も、僕が今の会社の代表にいつなったかなんて正確に知らないし覚えていない。
多分十年目位だろうってね。

送り主はちょうど十年前に最後に会ったかな。

同じソリューションを愛して頑張っていた同業者の社員の年下の男だった。個性的だったけど本当にこのビジネスと愛していたと思う。

当時、僕が今の会社の代表になると聞いた彼は、確か都内の会議の後だったかな、お祝いにってシャンパンを持ってきてくれて新宿のおでん屋で飲んだんだよね。2時間くらいかな。

「お互い頑張ろう。」って握手して駅で別れてあずさに乗った。その後、彼はいろんな事情でその会社を辞め、会う事もなくなり、せいぜい年賀状のやり取りくらいの関係だったのに。いまどんな仕事をしてるかも知らない。

驚きどころか、本当に意味が分からなかった。

なにより驚いたのが、のし紙に自分のいた会社ではなく、僕らのソリューションの名前が書いてあったの。

十年前に、たった一つのエージェントのたった一人の社員だったのにね。

「ア○○ル OB」ってね。ちなみにアスマルじゃないよ。(笑)

僕は携帯を手にとり、送り状に書いてある見慣れない市外局番の電話番号に電話をした。

感じのいい女性が電話に出て、僕が自分の名前を告げると昔からの知人のように、「お世話になっています。主人にかわります。」と。

奥様なんてもちろん会った事もない。

本人と十年ぶりに話した。

僕がお礼を言うと彼は「おでん屋、覚えてます?」って。

もちろん覚えている。

僕は「こんな時代だし、ソリューションも変化してきて、あのころとは違うんですよ。」と少し愚痴ると彼は。

「いつもサイトとかで拝見しています。勇気もらってますよ。10年間でスタッフの皆さんやお客様を幸せにしてきているのは、遠くにいてもわかりますよ。そんなこと言っててはダメですよ。立場を考えて下さいね。僕なんか今は裏方の裏方みたいな仕事をしていますよ。」

みたいなことを言われた。

なんか、覚えていてくれていたどころか、応援してくれてて、10年ぶりなのに、誰も覚えていない以前に僕も忘れている10年目を覚えていてくれて、驚きとともに、自分はそんなこと出来ないから、なんか、凄く泣けてきた。

「仕事も音楽もいいけど、そろそろペース配分して、ご自分のしてきた事を考えて、今夜くらいは十周年を祝わないとダメですよ。」って言われた。

確かに走り続けてきた10年だった。

彼がこのビジネスを離れてもずっと好きなのもわかるし、離れるのも辛かっただろうね。今もこのビジネスを好きなのに離れることを選ぶ友人が何人かいる。


今週、ちょうど10年前に広告代理店に就職して僕の会社の担当になった若者が都内から突然来たの。

新卒で広告の営業でうちに来たのに、亡くなったばかりの彼の父親の話を聞いたり、人生の話したり。
その彼は「その時が忘れられないし、会えて良かった。」って言ってくれたの。
彼もめちゃくちゃ苦労してるけど活躍してるよ。

ダメだなぁ、自分は。と感じて泣ける夜でした。

ビジネスパートナーも友人もスタッフも異性も、愛しているからこそ、がっかりしたり、許せなかったり、けど結局許せたり、また頑張ったり。そうやって生きてると思ったけど、会えなくても、携われなくても、遠くにいても、忘れない事とか心の片隅にあるってことも、凄いなと思った。10年かぁ。

その一方で、好きとか、真面目とか、誠実とか、等身大とかがかっこわるいって馬鹿にする奴、本当に多いけどね。

結局、僕は何をしてきたんだろう。僕には出来ない事ばかりだ。

僕はまだまだだな。ありがとう。

最後の仕事。

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9月のある火曜日の朝、仙台駅を出発したパートナー企業の責任者達と東北の仲間の皆さんを乗せた大きなバスは、我々のビジネスの東北・北海道エリアの中核となる東北でも最大級・最新鋭の物流施設に着いた。

バスを降りると約一年ぶりに一度だけお会いしたにも関わらず、出迎えてくれたその施設の責任者が穏やかな笑顔で僕に声をかけて握手をしてくれた。あんなに大変なことがあったのに覚えていてくれていた。

七夕祭りに沸く昨年の8月11日、僕は仙台港にそびえるその施設で、東北エリアの同業の仲間の皆さんへの同じ地方エリアの事例として講演をさせていただいた。そのときにその責任者の方に施設をご案内頂き、講演も聴いていただいた。
僕は地元に帰り、お会いできたことへの感謝のメールをその方に差し上げたところ、温かい言葉で返してくれた。

その7ヶ月後に津波にのまれ、近隣に火災が発生するその施設の空撮映像をテレビで見る事になるとは想像もしていなかった。

信じられない映像が立て続けに放送される中で、その施設でお会いした沢山の方々や地元の皆さんの安否とともにその責任者のお顔が何故か浮かんできてとても心配だった。

結果的にその責任者の的確な判断でぎりぎり数分のタイミングで全従業員の命を救ったと聞く迄に、震災発生からかなりの日数が経っていた。

火曜日の午前、我々は予定よりも1ヶ月も早く全面稼動を再開した施設を再度見学した。3月11日の状況をその場にいらっしゃった方の言葉で克明に伝えていただいた。周りにはまだ損壊した建物と、流された車が沢山積まれていた。

とてつもない揺れで座り込んで崩壊する壁と棚の中でなんとか身を守り外に出た。

施設外で点呼をしている時に津波がくるという情報でトラック用スロープを全員で駆け上がった。

津波に気付かない人に大声で声をかけ、溺れる何人かの人をロープで助けた事。

近くの燃え続けるコンビナートの恐怖。

まったく通信が途絶えるなかで2日間寒さをしのいだ場所。

倉庫にある水とお菓子、そしてトラックのヘッドライトで過ごした夜。

3日目、水が引いてもひざ迄浸かる汚泥。

そして流されて行く車と人の残像。

一緒に見学した被災地に住む同業の皆さんが驚いて聞いているのだから、僕にはとても想像がつかない状況だった。
死と直面した実体験は淡々と言葉少なく語っても充分な説得力があった。

昨年夏に仙台で知り合った同業の皆さんに、震災後どのように連絡して良いかを戸惑っていたが、勇気を出してメールをしてみたら、皆さん不安の中、前向きなお返事を返してくれた。
被災地の仲間の為に何か出来ないかと歯がゆい日々を送っていたけれども、僕にはなす術も無く時間だけが経過していた。

パートナー企業の尊敬する執行役員の方と何度かディスカッションする中で、完全再稼動したその施設で9月に行われる東北の復興支援会議で皆を勇気づけて欲しいという講演依頼があった。

テレビでしか被災地を観ていないのに、何が話せるのだろうと何度も自問自答したが、その執行役員は

「いつも話してくださる素のままに、熱い思いを伝えてくだされば。心は通じます。」

と勇気づけていただいたので、出来ることがあればと引き受けさせていただいた。

火曜日の午後、被災地の同業の皆さん数十社、一部上場企業であるパートナーの社長、副社長、執行役員、各部門の責任者の前で講演させていただいた。ベストは尽くしたつもりだし、経営陣や同業の方々から勇気づけられたと暖かい言葉を掛けていただいた。本当のところはわからないけどね(笑)

そしてその夜、仙台市内のホテルで行われた懇親会で、僕のことを覚えていていただいたその施設の責任者の方が実は定年退職されるとのことで、パートナー企業の社長から花束を送るサプライズな演出があった。花束を受け取り、挨拶を済ませて壇上から下りてきたその責任者に、僕を覚えていていただいたお礼をすると「昨年の講演に勇気づけられましたから。」と。

僕は人生の大先輩に「3月11日のあの映像を見た時にお顔が浮かんだんですよ。震災なんて起きない方が良かったけど、部下の命を救い、施設の早期稼動再開を指揮し、この会社での最後に誰も経験できない素晴らしい仕事をされましたね。」と話してしまった、生意気にも。
パートナー企業の社長と3人で話しながら、僕は泣いてしまった。

圧倒的な指導力を発揮してというタイプにはけして見えないけど、誠実であの穏やかで暖かみがある人柄だから部下に信頼されて、成し遂げられたのかもしれないなと感じた。

「退職後、落ち着かれたら山梨にも遊びに来て下さい。」とお話ししたら、「名刺もパソコンも津波で流されてしまったので。」とあらためて名刺交換をした。

沢山の皆さんとお話しし懇親会もお開きとなり、その責任者の方と仙台駅まで一緒に歩かせていただけた。光栄だった。駅前でもう一度握手をさせていただいた。

男の仕事人生としてカッコいいなと思った。本当に、お疲れさまでした。

勇気づけて欲しいといわれて講演したけど、沢山の人に出会い、結局僕が勇気づけられた仙台だった。なかなか会う事も無い経営トップの皆さんとも沢山話せた。

被災地の仲間に勧められ、水曜の午前に短い時間だけどあの仙石線に乗って沿岸部に行ってみた。半年経つのにまだまだ被害はそのままで、時間はかかるだろうなと思いつつも、きっと大丈夫かなと感じた。明確な根拠も無いけどね。


本当に皆さんありがとうございました。

歳月。

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考えた事をtwitterでつぶやきだしたけど文字数がぜんぜん足りないので久々にこっちに書いてみた。

IMG_0005_s.jpg15年間暮らしてきたとびっきりチャーミングでオレンジ色が似合うカロッツェリア・マジョーラ出身のイタリア美人が僕の浮気心に気づいたのか、今朝、機嫌を損ねてサイドブレーキが凍り付いて動いてくれなかった。 こんな事は始めて。ここ数日寒かったしね。

金がなかったから当時高速道路を使わず山梨から環七のショールームに10年で13万キロ走った安いイタリアの大衆車に乗って、とことこわくわく逢いに行ったのがこの前の事の様。毎日雑誌やカタログ見てたな。あんな車で通勤したらあの最悪な上司がいる会社も楽しくなるかなぁって思ってたけど、実際買っても会社は楽しくならなかった。

自家用車って生涯で2台しか買った事ない。物持ちがいいんだよね。大好きな物をずっと使いたいんだよね。思えばリーズナブルだなぁ。

腕時計は買ってから17年間毎日つけている。もちろんオーバーホールはしたけど。
Guitarを弾きだして30年以上になるけど、買ったGuitarは4本。まともなのは2本かな。今の
Telecasterは7年目。沢山弾いてパリのステージにも連れて行ったよ。

そして今日、12年位使っているRotring社の製図用シャーペンの長いペン先が、僕の左手人差し指の爪の間を突き刺した。

考えてみたらこのBlogも8年目、最初は自宅サーバだったなぁ。
小さな企業の代表取締役になってから10年たった。
髭をはやしてからも多分10年くらい。ピアスを空けてからは・・・・。わかんない。

いい物件があったらいつでも引っ越せるからと、ずっと賃貸マンションで通してきたけど、こればかりは累計するといささかリーズナブルではないかな・・・。

嬉しい事も難しい事もたくさんあるけど、成長したのかなぁ。
歳を重ねるほど、毎年沢山の人との出会いがあるし、いまも素晴らしい人達に支えられてる。一緒に仕事をしたり出会った人たちもみんな成長して自立した大人として活躍してる。家族も尊敬してる。

幸い毎年、去年よりいい年になってると思ってる。少しずつでもね。
つらい時期でも過去に戻りたいとかじゃなくて、これはこの先ずっとは続かないからって思ってる。
だからあの頃に戻りたいと思ったことはないんだよね。いつも今がいいの。

この15年の歳月のスピードは凄まじかったけど、これからはもっと加速度を増すんだろうね。
今年も始まったばかりだけど、来週末でもう1月も終わり。
ま、このまますぐにじいさんになると思うので、若くいようと思うのではなく、ふざけたおっさんを続けたいと思う。

講演と公演。

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我ながら二面性に笑えたので写真を。

仙台に続き、金曜日は都内でパートナーの一部上場企業の会議で、同業者約100社の前で熱く講演。MacBook Air+keynoteで。

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先月やはり都内で「hideka band」のギタリストとして熱く公演。

DSC00113.jpg (Photo by 巣山映空)


両日の共通点。夜は大量の酒で記憶喪失の超ダメ人間だった事。
いいんだ。ずっとおバカな大人でいたい。

別れ。

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通夜に行ってきた。

業界の鬼と言われた大物が突然の事故で他界した。ショックだった。殺そうとしても死なないような男だった。

僕は約20年前に某メーカーに就職して営業職に就いた。他界した彼が営業部長をつとめる会社の担当になった。同業者や仕入れ先、彼の部下の誰もが恐れる存在感あふれる強烈な男だった。彼は誰も信用しない男だと思っていた。正直かなり苦手だった。20歳以上年下の僕には打つ手はなかった。
けど彼は自分のお客さんの為なら何でもしていた。いつしか何故か僕を信頼してくれて大事にしてくれていた。一緒に数千万円の仕事をいくつかした。

僕の社内での所属が変わり、担当が僕から別の社員に変わると決まったとき、彼は僕の会社の東京の本社に電話してブチ切れしたそうだ。

「社長を出せ。あいつと仕事をしたい。誰が担当を変えると決めたんだ?」と。

嬉しかったが正直、また担当するのはタフだった。

その後、僕が独立して始めたソリューションは明らかに彼のビジネスにとって面白くないものだったと思う。それでも「いいところに眼を付けた。さすがだ。」と評価してくれた。

そして何年かして、「自分の会社を作るから相談にのって欲しい。」と連絡があった。小さな喫茶店の片隅で「税理士はどうしたらいい?社労士は?評価制度はどうしてる?」と無邪気に相談してくれた。

ある日、某建設会社の社長と、僕が尊敬する若者の紹介で会う事になった。
もちろん初対面だったのに、その社長は僕の事を知っていた。
その建設会社は他界した彼の和風豪邸を受注したとのこと。そしてその他界した彼はその建設会社の社長に僕の話をしたと言う。

「面白い奴がいる、いい奴だ」と。

正直驚いた。
その社長は、他界した彼が人を褒めるのをあまり聞かないので覚えていたという。

その家での事故だったとのこと。何度も「遊びに来い。自慢の檜風呂があるぞ」と言われたけど、結局行けなかった。

行かなくて良かったかもしれない。最後がより鮮明にイメージ出来るのは辛い。日曜の午後、自慢の風呂を涌かす薪を準備しているときの事故と聞いたから。

訃報は知っていたが、しばらく会っていないその建設会社の社長も伝えてくれた。知らなかったら辛いだろうからと。

年末のこの時期になると他界した彼は毎年カレンダーを持って満面の笑みで商売上ではライバルでもある僕に会いにきてくれた。

「頑張ってるな。オレも頑張るぞ。来年もよろしくな。」とね。

そのカレンダーはいつも僕のオフィスの一番目立つところに張ってある。

けど今年、カレンダーは来なかった。

今週の金曜の午後、都内で約100社の同業者の集まりでちょっとした講演することになっていて、原稿に眼を通していると彼から学んだフレーズが幾つかあった。

「お客様に信頼してもらう為になにができるか?」

彼から学んだ事は僕の心で生き続ける。

圧倒的な存在感で、頑固で、ワルで、無邪気で、ストレートで、くそ真面目で、とてつもなく苦労してきて、ヤンチャで、スケベで、究極の商売人だった。

彼のお客さんになってみたかった。

天国で彼が「オレもまさか死ぬとは思わなかったけど、人生そんなもんだよ。がははははは」と大声で笑っている姿が想像がつく。いま思えば初めて会ったときの彼は今の僕の歳と変わらないんだなぁ。

家に帰って一人で泣いた。

お会いできた事に感謝します。僕を信頼してくれた事を一生誇りに思います。
心からご冥福をお祈りします。ありがとう。

革命的なディバイスと言われるiPadの今朝からの騒ぎは別として、僕の周りも続々iPhoneユーザーが増えていまして、このblogもiPhoneで少し見やすくしました。

あちこちでいろんな方法が書かれていますが、MTのテンプレートはいじらず、取り急ぎクライアントがiPhoneだとjavascriptでCSSを上書きする感じでとりあえず見やすくしてみました。

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そうするとホームにアイコンも追加してみたくなるわけで。
iPhoneユーザーの方はSafariのブックマークで「ホーム画面に追加」としていただくとアイコンが現れます。

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いままでも実は携帯でも同じURLで記事の閲覧はできていたんです。
QRCode


ついでにこのblogのPC向けのヘッダ画像もパリ公演の写真からちゃちゃっと変更してました。理由は深読みしないでください。

さて、以前に書いた薬局のサイトが今週オープンしました。火曜日に公開だったのですが、月曜日に慌てて足りない店舗写真とったり、面白かったです。

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やはりMTをCMS的に使ったサイトで、どんどん薬剤師さん達に健康情報blogでコンテンツを追加していただくという作戦です。

ある仕事の話

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2年くらい前かな。
行きつけのBarでたまたま隣り合わせていたある大人なご夫妻と知り合った。気さくに話してくれたが裕福なことは見た目ですぐわかった。いつも高級なシャンパンを飲んでいた。そしてルックスだけでなく会話からもある種の品と自信、そしてこだわりを感じたのを覚えている。

後に偶然僕と同じマンションに住んでいることがわかり、その後も何度かBarやマンションのエレベータで顔を合わせる機会があった。20年以上前に創業して調剤薬局を展開する企業の社長夫妻だと知った。とても紳士的に接してくれていた。そしてその会社のインテリアやサプライなどを僕の会社から調達してくれることになった。なにが気に入られたのかはわからないけど。

そして僕がWebやデザイン関連の仕事もしていることを知るとWebやCI計画もお願いしたいと依頼があった。いままで何社かにお願いしたが納得がいかないとの話だった。仕事が詰まっていた僕は「私なんかでいいんですか?それにお時間をいただきますが。」とやや断り気味に言った。本当に僕の何を気に入ってくれたかはわからないけど彼は「急いでません。待ちますよ。」と言ってきた。断る訳にはいかなくなったけど取り急ぎCIのみやることになった。結局随分お待たせしてしまったが、僕の考えをお話しし、何案か提出した。結局採用いただき「こういうのが欲しかったんです。完璧です。」と言ってもらえた。

Web制作はいま、なかなか時間が取れないし、乗り気ではなかった。それでも会うたびに依頼されたが「いずれ落ち着いたら。」とごまかした。その時に僕は行政主導で数十社の民間企業が参加するやや大きめのサイトの基本構想やコンセプト、構築業者の選定という若干やっかいな仕事を抱えていたし。

お二人はいつもタバコを吸う僕に、「もうタバコやめた方がいいですよ。」と言ってくれた。最初は「近くで吸われると煙くてうまい料理が台無しだ。」と言っていると思っていた。もちろんそれもあるだろう。そしていつしか同席するときは僕はタバコを吸わなくなった。
喫煙する会社の女性スタッフと飲んでいたときに、同席したときは夫妻はよりいっそう彼女に禁煙を勧めた。医療に携わる方から見たらもちろんそう思うだろうが、あかの他人に対してなのにその説得はそうとう熱心だった。

しばらくお会いすることも無かった期間があった。依頼された同社の関連会社のCIデザインもしばらく手つかずだった中、突然、僕の携帯電話に連絡があった。

「関連会社のCIはまだいいです。本気でそろそろでWebお願いできませんか?金額はいくらかかってもいいですから。」と。

低姿勢ながら強い意志を持って伝えてきた。断るすべも無かった。このご時世、贅沢な話だけど、自分の時間は限られてるし、けど外注に出すのようなことはしたくなかったし。

聞けば調剤薬局では、優秀な薬剤師の確保に非常に苦労するという。その為にも企業イメージをどう表現するかは大事だと言っていた。

僕は競合や同業他社のWebをリサーチしだした。そしてがく然とした。
人材確保が大事なのはわかるが、ひどいものだった。

薬剤師確保の為とはいえ、大学のサークルじゃあるまいし、「楽しいからおいでよ。うちで働けばこんなにメリットいっぱい、こんな素敵な職場で働きませんか?今すぐエントリー!」とばかりに、福利厚生で使えるリゾート施設、忘年会のビンゴゲームの高級な景品リスト、楽しい職場を表現したいのだとは思うけど、キラキラしたイルミネーションの中でワイングラスを傾ける女子薬剤師、海外旅行でのピースサインのスナップ・・・。

専門分野で地域医療や健康に貢献するとかそんなイメージは全くなかった。

多くのサイトが完全に「患者不在」だった。

幸い僕は心も身体も超健康だけど、もちろん身近にも病気と闘っている人は何人もいる。

不慮の事故のけがで病院に通っている人。毎日何回も服用するたびに「いつまで飲むんだろう。」と落胆しながら薬に頼るしか無い人もいる。高額な注射で狭まる視野を保つ人。自分の大切な臓器に不安を抱えながら副作用に耐えて家事も仕事もがんばって、傷つきながらも明るく振る舞っている人もいる。余命を宣告されてすでにその期間を過ぎている人。そして若くして寿命を終えた人もいる。
たかが風邪で僕が医者に行っても、薬局で薬剤師の説明にすがるように聞き入って不安を伝えているお年寄りを見る。

職場はもちろん楽しい方がいい。仕事は必ずつらいことがあるしね、明るい方がいい。僕も自分の会社もそれが第一と思って育ててきた。けど、それもお客さんに喜んでもらう為だし、社会に必要な会社である為にスタッフに頑張ってもらいたいからだとうのがある。結果的にスタッフはこの会社に入って良かったとみんな言ってくれる。
働きやすさ=らくちん、ではないよね。誰も苦労はしたくないけど、つらさを知らないと人に優しくできないし。一緒に苦労するから共感できるし達成感もあるんじゃないかな。

薬剤師という仕事はそうとう頭が良くないとなれないだろうし、裕福でないと教育も受けられないかもしれない。もちろん待遇もいいと思う。しかし、楽しければいいのだろうか?

僕は人の命に関わるもので商売をしたことがないからよくわからないけど。
仕事も生活ももちろん自分の為だけど、誰かの為にとか、誰かのお陰って思うからみんながんばれたりするんじゃないだろか?

僕は「カッコいいのを作ってください。」と言っていたリッチなクライアントに電話をした。

「いろいろ競合他社のサイトを見ましたが、違和感を感じます。仕事とはいえ、あのような患者不在のサイトは作りたくありません。どうお考えですか?」と。

その経営者は自分の意見を話してくれた。僕と同じ意見だった。少し安心した。

僕はもう一度その会社の資料や原稿を読み直した。

そこには
「常に基本を忘れず、患者様本意の医療を。」
「薬のプロとして地域の皆様の健康的な生活を医薬分業からサポートします。」
「現状に満足することなく、改善、向上し皆さまに信頼していただける薬局であるように努力します。」
「We offer the bright future with health.」(健康がある輝かしい未来を提供します。)
そう書いてあった。

多くの他社サイトにはそういうメッセージは感じられなかった。

僕は提案した。

「派手さや目新しさを目指すのではなくて、まずは顧客である患者さん向けに当たり前のことがちゃんと書いてあって情報発信ができて、企業の理念が伝わるクリーンでシンプルなサイトにしましょう。それが差別化になると思うし、それに共感するスタッフが集まればいい。もちろんサイトのセンスは良くないといけないけど。」と。

彼は共感してくれた。

しばらくしてきっと、一見、目新しくない普通のサイトが出来るかもしれない。けど、それでいいと思っている。でも投資していただくなかでガッカリはさせないと思っている。

そしてその経営者はやや大きい規模の新しい店の店舗設計をお願いできないかと言ってきた。諸事情でそれはさすがにお断りした。

新聞載った。

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今朝の新聞に載りました。ひさびさに。
音楽ネタではありません。本業です。(どっちだろ?)
「会社役員、酒気帯び事故で逮捕」とか「痴漢で御用」とかじゃ無いですよ。

日本経済新聞ですから。首都圏経済・山梨面です。真剣なビジネスのお話です。
かといって「負債○億、会社更生法適用」とかでも無いです。

まあ良い事で載りました。話すと長くなるし難しいので省略。
陽気で愉快な仲間達のお陰です。(意味不明だよね)
みんな、ありがとう。これからもよろち○○。
今夜は(も)祝杯、一人で。

古いのが調子悪かったので仕事用に新しく買ったモニタ。簡単に回転できるんで17インチを縦使い(1024×1280)してみたらこれがやめられない。

ウインドウを通常のサイズ縦に2つ並べられるし、ブラウザとかメールみたいに縦スクロールが多いアプリもスクロールせずに全体が見られていい感じ。Terminalでもlogとかsourceも見やすいし。ましてやビジネス系の文書とかデザインものとかほとんどA4縦だからほぼ実寸で全体を表示してもツールバーとか表示する余裕もある。
こうやって使うとなんでビジネスPCのモニタって縦長じゃないんだろうと思っちゃうくらい。Synergyを使って隣りに置いてあるiBookとPC用キーボード、マウスを共有してるからこれまた便利。手前に見えるのは最近社内で導入した指紋認証ディバイスです。

先週から応募開始の新人採用は定員一名に対して二十数名の応募で面接に追われました。ようやく決定はしましたが、面接つづきは疲れます。今週はライブもあって大変だったけど、決算、監査と容赦なく仕事は続きます・・・・。

Swung from the gutter

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もう先週の話ですがライブでした。またもや甲府 KAZOO HALLだったんですが、この日は若くてすごいバンドばかり。刺激になりました。
heTHE LOCAL ARTLost Color PeopleALL SOUL'S DAYO-front

お客さんも沢山来ていただきましたが有名なバンドが多かったのでいつものLCPの客層とは違っていて面白かった。高校生の女の子が自転車に乗ってライブに来るってのはLCPでは考えられないですよ。

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いよいよ連休中に最後のミックスダウンを終えて新しいCDのリリースももう少し。

仕事のほうは相変わらず突っ走っているわけで、そうそう、新聞に載っちゃいましたよ。顔写真入りで。日本経済新聞、首都圏経済面のビジネストレンドってコーナーでエリアの景気動向に関するインタビュー。堅いですよ、内容は。けど写真はどう見ても○○容疑者って感じでした。

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